徒然草

ふと思ったことを勢いで綴ります

看護学生になった(前編)

ブログを書くのは何年振りであろうか。

 

久しぶりにのぞいてみると、意外にも今日も見てくださっていることに驚いている。

また、社畜がどうのと言っていた3年前の自分の記事を見て初々しさすら感じる

多分当時のじぶんが見たらビックリだろうが、看護学生になってます。ええ、しかも今実習直前です。事前学習終わりません。大ピンチです。ブログ書いてる場合じゃねえ。

 

この3年で何があったのか。備忘録的に書いておきます。

 

高校卒業後、無事社会人として働いていた。だが多い。残業が多い。定時は18時なのだが、それを鼻で笑うかのように仕事が舞い込んでくる。

こんなんおわらんやーーん????と叫びながら頑張る新卒君(自分)。今思えばまあ微笑ましいもんである。

 

そんなこんなで奮闘していた6月ごろ。部長からお呼ばれし、部署を急に変えられた。

見たことないイカツイ機械にビビる自分。なんとまともに扱える人がいないらしく、前任の人が倒れちゃったそうなのだ。

なんじゃそりゃ?まあ面白そうだからいっかと、持ち前の能天気さを発揮して作業に従事し始めた。

 

機械があるのはカーテンで仕切られた個室である。(板を切ったときの粉塵がすごい)

ここでぽつんと一人で作業するのであるが、私は一人になってはいけなかったようだ。何かのスイッチが入り、哲学的思考に陥り始めた。なぜここにいるのか?そもそも私とはなんなのか?目の前にあるものは実在しているのか?と。

考えなくてもできるルーティーンワークをされてる方なら首がもげるほどうなずいてくれると思うのだが、頭がこうなるのだ。いやマジで。

ニーチェソクラテスも名前くらいしか知らなかったのに、感覚器官を通してでしか世界は見ることはできない。つまり世界は私の頭の中で作られたイマジネーションである(表象されたというのか?)とか、自由とは自分の満足が自分の律された条件の中で行為されて生じる場合にのみなれる。とか多分知識のある方からすると多分よくわからない突っ込みどころの多い考えを持つようになった。

その中でどうも自分は他人に貢献することが好きで、誇りをもった仕事だと思っていることに気がつく。(遅) 憶測ではあるが、当時はメサイアコンプレックスがあったと思われる。メサイアコンプレックスは、自分に自信がないもんだから、他人の承認を餌に自信をもらうやつで、病的になると、他人を貶めて救うことによって承認を得るというまあまあやばい精神状態である。救済願望みたいなのかな。看護師なら、仕事しながら自動的に承認が得られるため、援助職に就く人はこういう傾向にある人も多いと聞いた。

とまあこんな感じで就職もできる。人にも貢献できる。生活そのものに対する学も増える。と、メリットしかないので、看護師になろうと決めた。メサイアコンプレックスは、、、まあ自覚して気を付けよう。と決めた。私は昔から、決めたら行動は早い。

 

こうして仕事を辞めることを決断し、12月ごろ、上司に相談した。4月に辞めることにし、入ってくる後輩の教育(私はこの言葉があまり好きではないが。)、この機械のマニュアル作成に取り掛かり始めた。新卒一年目で会社で使える人がいなくなってしまった機械のマニュアル書くの面白すぎませんか?(しかも手書き)楽しかったので良いですが。

 

その後行きたい学校を決め、受験勉強を始めた。だがいかんせんアホなので、英語は三単現のSが分からない、英単語のinterested(興味がある)すらもわからないという壊滅っぷり。数学も因数分解のやり方は空のかなた。生物もやったかすら怪しい。地学?そんな教科あるの?という状況だった。よく挑んだと思うしそんな無知だったのも今となっては恥ずかしい。ミスドでドーナツをほおばりながらずっと勉強していた。カフェオレおいしいですよね。

 

そして4月、辞めた。人は最高に良かった会社だったので、「君ならどこへ行っても大丈夫」や「注射してもらうわ」などとありがたい言葉をたくさんもらった。お相撲さんが団子で重量挙げしている絵があつらえられた謎のTシャツなんかももらった。

 

続く